心理カウンセラーのしん(@psynote__)です。
「一度でいいからごめんって言ってほしかった」
「なぜあれだけのことをして平気な顔でいられるのか分からない」
毒親に関する相談の中で私はこうした言葉を繰り返し聞いてきました。
この記事では、毒親が子どもに謝れない理由と「謝ってほしい」の奥であなたが本当に求めているものについてお伝えします。
毒親が謝れないのは「プライド」ではなく、ものの見方の問題
ずっと我慢してきたことを勇気を出して親に伝えた。「あの頃、本当につらかった」と。
返ってきたのはこんな言葉ではなかったでしょうか。
- 「何のこと?」
- 「そんなこと言った覚えはない」
- 「あなたが大げさなだけ」
伝わらなかった。それだけでも十分つらいのに、なかったことにされた。帰り道に「やっぱり言わなければよかった」と思う自分と「でも間違っていたのは向こうだ」と思う自分がぶつかり合う。
毒親が謝れない理由は「プライドが高いから」「自尊心が低いから」と説明されることが多いですが、実際にはもう少し根深い話です。
そもそも論として、多くの毒親は「自分が子どもに悪いことをした」という認識を持っていません。
嘘をついているのでも、わざととぼけているのでもなく、本当にそう思っている。
「悪いことをした」と思えない理由
なぜそうなるのか。大きく分けると3つの理由があります。
一つめは「親として当然のことをした」という確信です。
口出しやコントロールで子どもの人生を縛ってきた親の多くは「自分の行動は子どものためだった」と本気で信じています。
- 「進路を決めてあげた」
- 「交友関係を管理してあげた」
- 「失敗しないように先回りしてあげた」
すべてが「よいことをした」という記憶に変わっているため、何を謝ればいいのか理解できない。話し合いが成立しない最大の理由はここにあります。
二つめは、子どもの感情を「事実」として受け取れないことです。
あなたが「つらかった」と伝えても、親は「そんなはずはない」と返す。
これは意地悪ではありません。子どもの感情を独立した事実として受け取る力がそもそも育っていないのです。
親にとって子どもの感情は「自分への評価」に映ります。だから「つらかった」が「お前は間違っていた」と聞こえてしまい、必死に否定する。
三つめは「謝る=負け」という家族の中の力関係です。
毒親の家庭では、親が間違えたときも子どもが間違えたときも「謝る側」は常に子どもです。
この関係の中で育った親にとって「子どもに謝る」は「格下になる」と同じ意味を持ちます。一般的な家庭にある「間違えた→謝る→許す」という流れが存在しないため、子どもに謝るという選択肢がそもそも頭の中にない。
「じゃあどれだけ伝えても無駄なのか」
ここまで読んでそう感じたかもしれません。
残念ながら親のものの見方を外から変えることはほぼできません。何十回伝えても、手紙を書いても、泣いて訴えても変わらない。親の中にある「自分は正しかった」は動かない。
ただ、一つだけ知っておいてほしいことがあります。
通じなかったのはあなたの伝え方が悪かったからではありません。
あなたの言葉は間違っていなかった。受け取る力が相手になかっただけです。
「あなたのためだった」が謝罪の代わりに使われる理由
過去の行いを問いただしたとき、毒親がもっとも使う言葉があります。
「あなたのためを思ってやったことだ」
この一言を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった経験はないでしょうか。言い返したい。でも言葉が出てこない。「あなたのため」と言われると自分が悪いのかもしれないという気持ちが一瞬よぎる。
帰ってから「やっぱりおかしい」と怒りが湧いてくる。けれど次に親と顔を合わせるとまた言えなくなる。
「自分のためだったのかもしれない」と思ってしまうとき
「あなたのため」に言い返せない理由はもう一つあります。
心のどこかで「本当に自分のためだったのかもしれない」と思ってしまう瞬間があるからです。実際に学費は出してもらった。ご飯も作ってもらった。友達の家と比べてそこまでひどかったのか、と。
この「自分への疑い」こそが毒親の支配の一番深い部分です。
暴力や暴言なら「おかしい」と気づける。でも「あなたのため」という形で行われた支配は、どこからが支配でどこまでが愛情なのか本人にも見分けがつかない。
だから苦しい。怒っていいのか、感謝すべきなのか、その判断すらできないまま大人になってしまった。
「あなたのため」は親が自分を守るための言葉
はっきり伝えます。その迷いの中にいること自体が支配の影響です。
「あなたのためだった」と言うとき、親は子どもの心配をしているのではありません。
「あなたのためではなかった」と認めた瞬間「自分は子どもを傷つけていた」という事実と向き合わなければならなくなる。自分の子育ては間違っていたと認めることになる。
それは親にとって自分を支えてきたものが壊れることを意味します。だから絶対に認めない。
あなたがどれだけ証拠を並べて
「あの時こう言った」
「こうされた」
と訴えても届きません。記憶をすり替え、事実を認めず、最後は「覚えていない」で逃げる。
「あなたのためだった」から生まれる罪悪感もまた、毒親が子どもに植え付ける罪悪感と同じで、親の問題をあなたに背負わせているだけです。
謝ってもらえたとしても、あなたの苦しみは消えない
ここまで読んで「親が謝れない理由はわかった。でもそれでも一度でいいから謝ってほしい」と感じているかもしれません。
その気持ちは当然です。
もし親が涙を流して「あの頃は本当にごめん」と言ってくれたら。自分がどれだけ傷ついたかをわかってくれたら。そうしたら、ずっと抱えてきたこの重さが少しは軽くなるはず。そう思いますよね。
ただ、ここからはあまり語られていないことを書きます。
仮に親が「ごめんなさい」と言ったとしても、あなたが求めているものは手に入りません。
謝罪の先にあるのは「空っぽ」
ごく稀に「親が謝ってくれた」という方がいます。親が体調を崩したり、年を取って弱気になったタイミングで「あの頃は悪かった」と言われたケースです。
けれど、その後に来たのはほっとした気持ちではなかった。
「謝ってもらっても何も感じなかった」
「もっと早く言ってほしかった、としか思えなかった」
「結局、親が楽になりたいだけに聞こえた」
求めていたものが手に入っても、心が軽くなるとは限らないのです。
あなたが本当に求めているもの
「謝ってほしい」の奥には、謝罪そのものではない別の願いがあります。
「あの頃、ちゃんと愛されたかった」「一人の人間として扱ってほしかった」という、子どもの頃に満たされなかった思いです。
「ごめんなさい」の一言だけでは、否定され続けた記憶は書き換わらないし、失われた子供時代は戻ってこないのです。
「愛されたかった」と認めることが怖い理由
「本当に求めているのは愛情だった」と言われて、すぐに受け入れられる人は少ないと思います。
なぜなら、「親に愛されたかった」と認めることは「もうそれは手に入らない」と認めることと同じだからです。
「謝ってほしい」にこだわっている間はまだどこかで可能性が残っている。「謝ってくれたら関係が変わるかもしれない」という小さな期待が、完全に諦めなければならない現実から自分を守ってくれている。
だから「謝ってほしい」を諦めるのが怖い。この願いを諦めた瞬間「もう親からの愛情は来ない」という事実だけが目の前に残ってしまうから。
この恐怖は自然なものです。だから無理に降ろそうとする必要はありません。ただ「降ろせないのは自分が弱いからだ」とは思わないでほしい。それだけ深い傷だったということです。
「謝ってほしい」があなたを親に縛りつけている
もう親とは関わっていない。連絡も取っていない。それなのに、夜ふと目が覚めたときに親の顔が浮かぶ。テレビで親子の場面を見ると胸がざわつく。誰かに「お母さん元気?」と聞かれただけで一日中気分が沈む。
「謝ってほしい」と思い続けている間、あなたの中で親は大きな存在であり続けます。
関わりを断っても心の中にはまだ親がいる。怒りを感じるということは、親に対して感情のつながりが残っているということです。
謝罪を待つことが、親から離れることを遅らせる理由
謝罪を求める気持ちの根っこには、怒りがあります。
毒親への怒りが消えない理由でもお伝えしたのですが、怒りの奥には「愛されたかった」という悲しみがあります。その悲しみに直接触れるのは痛すぎるから、怒りという形で表に出てくる。
謝罪を求めることは、この怒りを親にぶつけ続けることであり、結果として悲しみに向き合うことを先延ばしにしている部分があります。
親からの「ごめん」がなくてもあなたは幸せになれる
親は謝らない。謝る力がない。そして仮に謝ったとしても、あなたが本当に求めているものは謝罪では手に入らない。
ただ、この記事で一番伝えたかったのは「だから諦めろ」ということではありません。
親からの「ごめん」がなくても、あなたは幸せになれるということです。
「あの頃の自分は間違っていなかった」と、自分で自分に認めてあげること。それが最初の一歩になります。
「頭ではわかっている。でも気持ちがついてこない」
「謝ってほしい気持ちを捨てたいのに捨てきれない」
そう感じている方に向けて、親への感情や心理的な距離の取り方を私と一緒に整理しませんか?

